旅行社で営業の仕事をしていましたが、職場が赤坂見付けで遠すぎたのと、当時、女性ではツワーコンダクターとして海外に出してもらえず、結婚を機にフルタイムではきついので、自由に働けるように転職することにしました。
職安、すなわち、今のハローワークに定期的に通っていましたが、私の希望が編集という仕事だったため、適当な会社もなく就職は、なかなか決まりませんでした。
そうした仕事が多い飯田橋の職安に行くように管轄の職安から指導も受け飯田橋まで通いましたが、当時は、中途入社でそうした職種は少なく見つかりませんでした。
そんな状態なので、失業保険が切れるぎりぎりに新聞広告で文京区にある石油関係の機関誌編集をしている会社に面接に行き、週三回位出社し記事を書くという条件で入社をし、社長に職安に提出する書類を書いてもらいました。
この会社で販促製品のコピーの仕事、表紙グラビアの撮影などのアシスタント、さまざまな記事の執筆も経験し、少なからず、商業的に書くことへの足がかりを作ってくれたキッカケになったことは事実でした。この経験を通じていろいろ勉強もさせていただきました。
働くというのは、いろいろな働き方があるということ、また、固定枠にとらわれない働き方が、実際にできたことは大きな収穫でした。以後の私の歩みの傾向を作ってくれた有り難かった職場でした。